ぬい活の写真には、人間の愛が透けて見える。平凡な日常を、とっておきのひとコマにしてくれるぬい。ぬいと一緒にいれば、通り過ぎていた幸せの片鱗をキャッチできるんじゃないか、という予感があった。
お互い幸せそうな写真を見るたび、じわじわとぬい活への興味がわいてくる。そんなときに「ホイッピ」というキャラクターを知った。
ふわふわで真っ白なホイップを頭にのせた、水色のもふもふ。プロフィールによると、エリート育ちのネコらしい。くりくりとした目にたらこ唇がとてつもなくキュートで、人生初のひとめぼれだった。
この子を相棒にしよう、と意気込んだものの、オンラインストアはすでに完売。実店舗をもたないので、ひたすら待ち続けるしかない。しばらくしてから、運よく近場に出店したポップアップストアでようやくゲットできた。
存在を知ってから約2カ月、ようやくホイッピに出会えたのだ。

数日後、朝5時半にぬいを外へと連れ出して向かった先は、栃木の奥日光。前々から予定していた奥日光ドライブにぬいの参加が決まった。奥日光の大自然でぬい活デビューを果たす。

まず訪れたのは、奥日光の三大名瀑・竜頭滝。上流に近づくと、ごうごうと轟音が響き渡るちょっとしたスペースにたどり着く。
まだ観光客がまばらな早朝だったことで、遠慮なくぬい撮りできたのがラッキーだった。
雨上がりのひんやりとした風と水しぶきが、晩夏の涼を運んでくれる。ホイッピのふくふくとしたボディのさわやかカラーもあいまって、一層気持ちがよかった。


奥日光の竜頭滝から始まり、華厳の滝や中禅寺など王道スポットをめぐって、国道122号線を南下。足尾銅山や旧花輪小学校記念館にも立ち寄り、ぬいと一緒に歴史を肌で感じる。
出会ったのはつい最近なのに、学校の校舎にいるとずっと昔から一緒にいるような気がしてきた。学生のころに出会っていたら、きっとスクバの一軍マスコットだっただろう。

せっかくの小旅行。バッグにぬいを忍ばせておくにはあまりに窮屈で申し訳ない。どうせなら街歩きの道中も景色を楽しんでほしい、ということで、マルチユースのストラップでくっつけて歩くことに。アラサーになってからぬいを身に着けるなんて、人生なにがあるかわからない。
トイレに行くとき以外、ずっとこの持ち歩き方ですごした。もちろん、観光客でにぎわう華厳の滝でもこの状態。一緒にいた妹が言うには、結構な視線を集めていたらしいけれど、まったく気づかなかった。人一倍周りの目を気にして行動を制限してしまうわたしが、ぬいと一緒ならなんの恥じらいも感じなかったのだ。
ぬいと出会う前、勝手なイメージでは「ぬい=自分の分身」、一心同体の存在だと思っていた。しかし、実際にぬいと一緒にでかけてみると、自分の分身ではなく“ホイッピ”という一個人として存在していることに気づく。双子のような写し鏡ではない、まるっきり別人格。
だから目の前にきれいな景色があれば感動を共有したいし、おいしいものを食べているときは香りだけでも味わってほしい。その時々のすてきな経験を一緒に楽しみたい。
友人に近い関係性だけど、唯一違うところは生き物でないこと。同じ時間やときめきを共有できても、リアクションはなにひとつ返ってこない。にっこりとほほ笑んで、わたしのわがままに付き合ってくれる。ただそばにいてくれるだけでいいんだ。
リアクションがないことを、さみしいとは思わない。反応がないからこそ、気をもむ必要がないから。フラットな気持ちで、ホイッピだけに一点集中できる。
誰かの目線が気になってしまう「わたし」という主体から「ホイッピ」という客体に軸足が移る。ホイッピを通して世界を見ることで、ぐんと視野が広がり自由を手に入れた。残されたわたしは人間界を案内するホストとして、ゲストへのおもてなしに集中できる。これは周りの視線にとらわれている、わたしの救いとなった。
水色のもふもふを腰巾着のように身に着けるアラサー女性は、さぞかし奇妙だっただろう。でもその視線に気づかなかった。それだけホイッピとの世界に没頭していたらしい。
誰かに迷惑をかけない範囲で、やりたいように行動する。好きなことに堂々と向き合う。自分らしく生きるってこういうことなのかも、と帰宅後にホイッピの体を拭いていてふと思った。
ホイッピとなら、どこにだっていけるのかもしれない。
